「過去」、「事実」は、変えられないと前々回に書きました。
確かに起こった出来事は、残念ながら変えることができません。
しかし、幸い(?)なことに、出来事には、もれなく「感情」がプラスされています。
「もれなく」です。
それゆえ、過去の出来事は、捉え方を「自分次第」で変えることができます。
自分次第で変えることができるのです!
「できるのです!」と簡単に書いてしまいましたが、そうすぐにできないのが人間です。
些細なこと、毎日のちょっとしたことであれば、変えられます。
例えば、その日、先輩に叱られたとします。
そんな時、まず始めに浮かぶ感情は、
「あー、また今日も怒られてしまった。(→ 落ち込む)」
「あー、また今日も怒られてしまった。(→ 逆ギレ)」
などだと思います。
しかし会社から帰る時に、
「叱られた内容には一理あるな。次から言われないようにするためにはどうしたらいいだろう?」
「先輩も自分を育てるために指導、指摘してくれたんだな。」
など、ちょっときり替えるだけでも、だいぶ「負」の感情はおさまります。
なかなか、こう思うことも難しいかもしれませんが、少しこういったことを意識して積み重ねていくことで、感情に左右されない、感情をいい状態で保つトレーニングになります。
まずは、「意識」するだけでも、だいぶ違うのでは?と思います。
一方で、「深刻な」出来事であった場合、心に傷を残すような出来事の捉え方を変えることは、とても難しいです。一筋縄では変えられません。
自身の経験ですが、深刻な出来事には、「時間」が必要でした。
「時間」といっても膨大な時間。「期間」です。
「時薬(ときぐすり)」という言葉があるように、「時間が経つ」という経過はとても大切です。
人間は「忘れる生き物」です。そして過去の記憶は「自身が思っているように」変換されます。
「思い出が美化される」というような言葉があるように、例えば恋愛では、美化されることが多いように思います。(一方で失恋という辛いこともありますが)
「出来事」は、時間が経つことによって変化していきます。
また時間が経っていく中で、人は日常生活の中で少しずつ成長すべく、「経験」が蓄積されます。
この「出来事が脳内で変化していく」ことと「経験」が、私はとても重要だと考えています。
私の例で挙げると、私は深刻な出来事として、離婚、離婚に伴う息子との別れ、介護を経験しました。
息子との別れでは、悲しみと罪悪感がずっと消えず、10年以上、苦しみました。その当時に周囲の人に心無い言葉に傷つき、ずっと癒えなかったことを覚えています。
介護では、ある意味、当然のことなのですが、いつまで続くかわからず、そして状況によって、「負」の感情がどんどん押し寄せて、とてもつらくなり、自分の人生を恨んだこともありました。
しかし、それらは、まさに自分次第で捉え方を変えることができました。長い期間を要しましたが。。。それでも「ポジティブ」な感情に変えることができました。
今、ものすごくつらい思いをされている方も多くいらっしゃると思います。
時間はかかるかもしれませんが、いつか、すこしでも捉え方が変わることを祈ります。
「経験」は、自身の「出来事」であり、当事者でないと湧き起こらない感情がたくさんあります。
「経験談」を聞くことで、聞かないよりは、境遇を慮ることができますが、当事者の経験に勝ることは絶対にありません。
ここでお伝えしたいことは、「経験は、その後の人生において絶対ムダにはならない。糧になる。」ということです。必ずいつか役に立つ時が来ます。
「経験は貴重」だと思って間違いないです。
日々、いろんなことは起こりますが、少しでも感情のコントロールに役立てて頂ければありがたいです。
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